ホワイトニングのこんな場合
「だから早く血管造影しろって言っただろう。
あのまま検査もしないでいたら、おとうは今ごろ死んでいたかもしれないんだよ。
自分勝手もいい加減にしろよ」息子からは、顔を合わせるたびに叱られてしまった。
妻は、「おとうさんが助かったのは、運がよかっただけなのよ。
だからもう、無理はしないでね」という。
彼女には、これまでも迷惑をかけてきたし、今回のことでも大変な思いをさせてしまった。
月曜から土曜日まで、自身の診察を続けながら毎日私の世話に通い、大手術を見守ってくれたのである。
それも弱音一つ、愚痴一つこぼさずに……。
実際、彼らの言うことは、もっともなのだった。
私のようなケースで、初めに発作が起きたときに心臓が停止しなかったのは極めてラッキーなことであったし、その後も手術の日まで、あれほどひどい状態にも関わらず心臓が動き続けてくれたのは奇跡に近い、とまで主治医には言われている。
それに、血管造影をした日、たまたま近くの病院に心臓外科のスペシャリストの先生がいらしたのも幸いした。
その先生は、翌日から、東京に長期出張の予定だったのだ。
またしても、運命の女神に助けられたと言っても過言ではないだろう。
だからこそ、このときばかりは少し頭を冷やして自分がなぜ倒れたのかを考え、体の機能を回復させていかねばならないのだ。
そうすることが、迷惑をかけっぱなしの妻に対する恩返しになる。
周囲も、私もそう考えていたはずだった。
心不全の症状は、手術のおかげですっかり改善した。
言語障害はまだ残ってはいるものの、退院してからの体調は絶好調、とにかくピンピンしている。
私の中では再び、治療の虫が騒ぎ出してきた。
患者さんのことが気になって仕方がないのである。
倒れて以来、診療は休ませてもらっていたが、患者さんのなかにはガンなどの重病の方もかなりいて、治療の間隔があまり空いてしまうのは申し訳ない、という思いもあった。
早く患者さんを治したいそれに、倒れる前の四月のあの日、胸に誓ったことを成し遂げなければならない。
このままのんべんだらりと養生していたら、自分はただの負け犬じゃないか。
あいつは変な治療を始めたけど、結局倒れてただのじいさんになったなんて、命を賭けてでも言われたくない。
現代医学を見返すためには、一人でも多くの患者さんたちを治していかなければならないのだ。
結局、周りの制止を振り切って、九月の下旬には新潟での治療を再開した。
退院から、一カ月あまりであった。
治療を再開するにあたって、妻にはこう約束した。
「これまでのように朝から晩までぶつつづけで、重病の方を二十人も三十人も診ることはしない。
とりあえずは午前中だけ、時間を区切りながらやるから、よろしく頼みます」そうは言ったものの、治療に入ると我を忘れるのは相変わらずだった。
なんといっても目の前で患者さんの顔色がパッと明るくなり表情がイキイキしてくるのを見ると、うれしくてたまらなくなる。
日常生活では、自分の考えていることをこれまでのように言葉としてそのまま発することができない不自由さを抱えていたが、治療をしているときの私は違う。
患者さんの体から発せられているさまざまな情報を感覚でキャッチすると、反射的に体が動そうこうするうち、東京で月に一度くらいなら治療ができるのではないか、という思いがムクムクと湧き上がってきた。
それを口にすると、妻からも息子からも、予想以上に激しい反対の声が上がった。
とくに息子の言葉は辛錬だった。
「おとうが東京に行きたいのは、おとうの欲望のためだけだろう。
それで、周りに迷惑くばかりかけて何を考えてるんだよ。
人を救うためだったら、家族にはどんな迷惑をかけても許されるつもりなのか。
だいたい、自分だって結局は現代医学のおかげで命を救われたくせに、それでもまだ免疫がすべてだって言えるのか。
あなたの言動は矛盾だらけじゃないか」確かに私は、現代医学の粋ともいえる、バイパス手術によって心機能を復活させてもらっている。
私の心臓を治したのは、針ではなくて、メスだった。
それは抗いようのない事実である。
けれども、私が主張している「免疫」の力というのは、病気に躍っている人たちに対して「もっと自分の力を信じなさい」というものであって、自分の場合のように心臓の血管が詰まって一刻一秒を争う急性期の状態に対して、のんびりと免疫を上げていこう、と主張しているわけではない。
むしろ、こうしたバイパス手術のような心臓手術、あるいは脳血管の手術などの技術に関しては、現代医学の素晴らしさは十分に認識しているつもりである。
とりわけ、こうした分野における急性期の疾患に対しては「免疫がどうした」などというつもりは毛頭なく、現代医学の技術に頼ることは正しいと考えている。
そのような意味のことを、たどたどしい口ぶりで説明しても、「だったら、免疫がすべてだなんておこがましいことは言うべきではない。
そもそも、現代医学に助けられた人間が、手術はやめるなんてことを患者さんに言うのは絶対におかしい、間違っている」といった具合に、理詰めで責めてくる。
こうなると、私はお手上げだった。
妻は、息子のようにきつい言い方はしなかったが、「やっと一命をとりとめたのに、退院してすぐなのに、また東京だなんて……」と、言外に非難を込めていた。
どうして彼らには、私の気持ちが伝わらないのだろうか。
私は患者さんを治さなければならないし、新潟だけじゃなく東京にも、治療の再開を心待ちにしてくれる人たちがいるじゃないか。
私は反対を押し切って、十一月には東京での治療も再開した。
体の力を信じれば、病は癒えるこの年は、慌ただしく暮れていった。
家族の反対をおして、新潟・東京で治療を始めたが体調はすこぶるよく、言葉の方も、徐々にではあるが回復してきた。
年が明けると、妻の還暦祝いや私たちの結婚記念日に初孫が生まれるなど、前年とは打って変わって楽しい行事が続き、自分が心不全と脳梗塞で倒れたことなど、忘れてしまうほどであった。
そんなとき、私の治療法に興味を持ったテレビマンが、訪ねてきた。
T報道局の M ディレクターである。
M 氏は、新潟や東京での治療を何度となく熱心に見学し、やがて、「先生、ぜひこの治療法を僕の番組で特集させてもらえませんか」と言い出した。
僕の番組というのは、Tの日曜の看板番組である「 H 特集」のことである。
私は、出演を受諾した。
思えば、平成三年から始めた気象観測からは十一年、そして平成六年の A 先生との出会いからも七年もの年月が経っている。
一年前の四月に、蓮の葉を目にして立てた誓いが、ようやく日の目を見るのか。
自分の治療がいつか日の目を見ることを目指してはいたものの、それがいざ実現するとなると、不思議な気持ちになる。
ともあれ、私は日々の治療に励んだ。
そして、むかえた七月七日。
ついに報道特集がオンエアされた。
画面には、私の日ごろの治療風景や患者さんたちのインタビュー、さらには妻との朝食の光景まで映し出されている。
ちょうど新潟に孫を連れてやってきた息子夫婦も、いっしょに番組を観て、「お父さんもここまで無事にやってこれて、本当によかったですね」と喜んでいる。
そこにいた全員が、何とはなしに安堵し、私も闘いの日々が一休みしたような感慨にひたっていた。
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